エッセイのつもりで書いているこのFeel the Feelは、私の内面における独り言である。 決して誹謗中傷を述べるつもりは無い。 ただ感じたままを綴っているだけなので私に影響されないで欲しい。 |
魂ある楽器 | 十四の話 |
かねてから欲しかった『龍笛(りゅうてき)』を仕事場の近くの和楽器専門店に買いに行った。 「すんません。龍笛ありますか?」と気の良さそうな中年男性の店員に尋ねると、「取り寄せになります。カタログ見ますか?」と答えた。 当然、私は肯定の言葉を吐いたわけだ。 そもそも龍笛を購入したいという動機は、1年前に篠笛をこの楽器店で購入したことからである。 私の父方の祖父は既に他界しているのだが、お神楽の名士だった。 私は小学生から中学生の時に、そのお神楽を舞台の下から食い入るように見ていたという記憶が鮮明に残っている。 超高度な感動が私の中に渦巻き、いつかは祖父から伝承してもらいたいと願っていた。 もしかしたら私はお神楽を見ながら神懸かりになっていたのかもしれない。 生前、祖父から尺八を譲り受けている。 高校の頃だ。 もう1つ、以前から欲しかった祖父の黒漆塗りの篠笛をねだったのだが、「神楽を止めたら、お前にやる。」と言われた。 ![]() その後、高齢によって神楽を止めた祖父に「神楽を止めたら、くれるっていう約束だったよね。」と私が言うと、「お前には既に尺八を譲ってある。私の手元にある唯一の楽器は、この篠笛一本となってしまった。これをお前に譲ると、これまで私が頑張ってきた証が無くなってしまいそうなので寂しい。ついては、この笛は私が死んだら形見としてお前に譲る約束をしよう。」と言ってくれた。 いつまで待てば良いのか解らない期限だが、それでも私は納得して嬉しかった。 数年後、祖父は他界した。 そして数年後、この約束を思い出し祖母に話したところ「この笛は、おじいさんが一番大事にしていた笛だよ。お前にはやらないよ。」と言われた。 祖父との約束のことを話したが、二人だけの約束だったので祖母を説得するだけの力を持っていなかった。二年後、どうしても諦めきれない私は、もう一度祖母に掛け合った。 「ああ、あの笛なら壊れたよ。割れちまったから捨てたよ。」・・・・・・・ガビ〜〜〜ン!!! 目の前が真っ暗になり奈落の底に落下するような衝撃が襲ってきた。私は呪った。気持ちを込めて呪った。生命を受けた楽器は、演奏者の愛が無ければ己の命を絶つのだ。 この例は、他にもある。 私の叔父も音楽が大好きで、色んな楽器を持っていた。 ご多分に漏れず、そのコレクションの1つを譲り受けているわけだが、私が中学生の時に叔父は他界している。 叔父が一番大切にしていたショートスケールのガットギターは他界後も壁に掛けられ、その存在を誇示していた。 しかし、ちょうど1年後、そのギターのネックが何もしないのに折れた。 叔父の家族は独りぼっちになったギターは主人を追って天国に行ったんだと解釈した。 私もそう思っている。 もう1つ話はある。 私が大学生の時、私の大切にしているテナーサックスを友達に貸したことがあった。 その楽器にしてみれば私以外の人間に長時間吹かれるのは初めてである。 3日後に帰ってきた私のテナーサックスのケースを開けてビックリ、楽器全体が蕁麻疹だらけになっているのだ。 今までにこんな症状になったことなど皆無だ。 柔らかい布で優しく拭ってあげることによって急死に一生を得たのだが、悪いことをしたとテナーサックスに謝ったのだ。 話が遠回りになってしまった。 笛を買う理由だった。 つまり、自分の篠笛を持ちたいという欲求を30年あまり持ち続け、ようやくといった感じなのである。 しかし、祖父が持っていたような魅力的な笛は高価だ。 50ccのバイクの新車が買えるくらいの値段なのだから。 そんなことで数千円の篠笛を1年前に購入し吹いていたのだが、どうしてもしっくり来ない。 何が原因なのかも皆目見当が付かない。 ただただ、しっくり来ないのである。 ドレミ調の篠笛も購入し吹いたのだが同じようにしっくり来ない。 もしかしたら私が欲しがっている音は祭囃子ではなく、雅楽なのかもしれないと思いついた。 そしてその楽器の1つが私の手の中にある。 龍笛である。 実は、龍笛を購入するときに『篳篥(ひちりき)』も一緒に衝動買いしている。 今は、何故か篳篥の音に魅了され龍笛はお預け状態だ。 |
ネタばらし | 十三の話 |
私は、よく投稿していただいたPhoto CG作品の素材をUpして欲しいと返信している。 これは、同じ素材で自分はどのように発想し展開できるのか自分自身に挑戦状を叩き付けるような気持ちで言っている。 自由とは規制の中で泳ぐことだと優等生的な思考があるからかもしれない。 ![]() さて、今回は『ネタばらし』ということで、Gallery Beeの『 Half 』を処刑台に送り込むことにした。 私のHPの作品に限っては注釈など付けないことにしている。 それは観る人が自由に感じ取り発想を膨らませて頂きたいからだ。 美術館などでよくみる風景として、作品を見ずして作品の注釈や作家の紹介を読むことに時間を費やしている人を多く見掛ける。 私は題名さえも見ない事が多く、気に入った作品の前では只々時間を忘れて見入るだけなのである。 結局、作家の名前さえも憶えずに美術館を出ることなど普通になってしまっている。 にも関わらず、その作品の印象が脳裏の片隅に、しっかりと根付いて離れようとはしない。 そんなことから、自分の作品には注釈やコメントを付けるなんて正月にサンタの衣装を着て入学式に出席するようなものだと思っているのだ。 しかし、それも面白い!! ならば、今回は作品の舞台裏を暴露してしまって『いいじゃないか!』と思った。 そもそも自分のファッションはさておき、女性のファッションには異常な(?)興味を抱いている。 そんな事から、一粒で二度美味しいファッションデザイナー的な思考で『 Half 』という作品を描こうと思い、2枚の画像素材によって自分を高揚させていった。 右の画像は『 Half 』という作品の縮小画像なのだがクリックしていただくと、元となった女性ファッション雑誌からのスキャン素材を見ていただける。 どうだろうか? 人間的な気配を消去し、一粒で二度美味しいファッション感覚を味わっていただけただろうか・・・ 普段見過ごしてしまいそうな小さな事にさえ、大切なメッセージが含まれていることが多分にあるんじゃないかと思っている。 是非、素材の画像を使用して私と同じ・・・また、違う作品をクリエートして見せていただきたい!!! |
初冬の病 | 十一の話 |
またもや前回の話から1ヶ月以上のインターバルになってしまった。 平凡なオジサンには特別な出来事など無く、毎日が平坦に過ぎて行きます。 戦争、流星、家畜の病など世間は騒ぎ立てるが、真剣に考えるほど各メディアの記事が真相に触れていず、まくし立てることに目的があるようなのです。 これだけの情報で1億2千万人の国民の内の約8千万人が満足しているかと思うと多数決の論理なんてクソ食らえと思ってしまいます。 価値観の問題が非常に大きいのですが、あらゆる問題に関して真剣に考えることができる環境にいる人は20%に満たないのかもしれません。 統計を取った訳ではないのですが、TVの視聴率と同じように無作為に抽出していないサンプルでの統計では偏りがあってしかるにであります。 このような統計に国民の多くは騙されています。 統計と聞くと、さぞもっともらしいという先入観で判断しているからではないでしょうか。 ところが、ほとんどの統計とは無作為のサンプリングでは無く、期待する答えを導き出すようなサンプリングをしているものです。 ちなみに、あなたは視聴率とか首相の支持率に関するアンケートを受けた事がありますか? 無いでしょう? つまりは、宝くじが当たる確率よりも少ないサンプリングの上での統計なんて当てにはならないわけです。 統計を請け負う会社の社員に聞いたことがありますが、クライアントが導き出したい答えの為の質問を用意すれば難なく意中の答えを統計できると言っています。 情報が溢れ、整理できない、真相をつかめない人々はマスメディアの魔の手に軽々と乗ってしまいます。 そして、真相を判断し切れない人々は、マスメディアに頼りマスメディアが装った価値観を自分の価値観だと勘違いしています。 まあ、今回は大きな愚痴になり画像もありませんが、毎年この時期になると再発する病気なので勘弁してください。 |